2024年06月14日

原爆投下は米国国民の責任ではない

なんて書くと

z_Guevara.png

この方に怒られそうですが、、、


普通に考えればそうなる

普通に(自然に)考えたらそうでしょう、
もしかすると米軍の責任でさえないかもしれない

ただ、0とは言いませんし
被害に遭った方やその周りの方が違うと主張されれば
私は否定できませんし、そう主張されて当然です


決定した人達の責任はある

しかし、一般人に投下を命令した人、決定した人達
責任はあるように思われる


理由1:民主主義じゃない

想定される反論1:
民主主義だから国民のせい
国民が選んだ政治家が進めたから国民のせい

いや、正しい民主主義じゃないでしょう
政府、メディアが国民を誘導、洗脳、
どっちも誰かの手下みたいな選挙
国民の責任とは思えません


理由2:実行した者より操った者

想定される反論2:
米軍が実行したんだから責任あり

米軍主導で行ったのなら上層部に責任があるかもしれないが
多分、政府主導その上にまた誰かいる感じ
兵士は欧米を守るための戦いだと言われているはず
個別の悪行は別(糾弾すべき)にして、
この件にかんしては責任は小さいように見える

6/15

政治カードになる?

「バカだなあ、米国のせいにしておけば
 心理的圧力掛けられるし、政治的なカードになるのに」

なりますかね?イメージが湧かない
米国にいる善良な人々に圧力をかけるのが良いことの様には思えない
まあ、感覚的にですがw

それにそんなことしたくないでしょう、そういう人達に
米国(他の国も)にいる悪人を批難、圧力をかけるのは正しいことのように感じますけど


戦争を早期終結させた正義の爆弾?

米国の人の多くはこういう考え(教育されてきた)?


善悪と言うのは相対的なもので、、?


何でも誰でも赦せというのか?

いえいえ、違います
大きな本当の悪は糾弾しましょうという立場です
ただ、大きな悪にみえるけど本当はここじゃないかも
という話にはなるかも

というわけで

これからもがんがん批判する予定です

ただ、考えは変わるかもしれません
基本的な所は変わらないと思います



posted by GJ at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | globalist全般
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